今日のブログは、ちょっと重たい話もあります。
気が重くなる場合は閲覧を中止して下さいね。
今回はちょうど1週間前に行われたレースです。
ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリという名前のサーキットです。
マルコ・シモンチェリというのは、レースで事故死してしまったイタリア人ライダーです。
レジェンドであるバレンティーノ・ロッシの後継者とも言われていたライダーでした。
最高峰クラスでも上位争いをする速さもありましたが、2011年マレーシアGPでの事故で帰らぬ人となりました。
そのライダーの名前が、後にこのサーキットの名前に付け足されました。
いよいよレースがスタート。

やはり今回もドゥカティ勢が先頭集団で引っ張ります。
ところが数周経過した時に、

車載カメラに雨粒が…。
これにより、数名のライダーがマシン交換のためにピットインして、ウエットタイヤのマシンに乗り換えました。

ランキングトップでドゥカティのマルティン選手もピットインしました。
これで予選9番手だったドゥカティのマルク・マルケス選手がスルスルとトップ浮上。
スリックタイヤ(晴れ用タイヤ)でもうまくスライドさせながらリードして行きます。
雨はすぐに小降りから止む状態となり、ピットインせずスリックタイヤのライダーが上位に名を連ねます。
ランキングトップのマルティン選手は、路面が乾いてきたので、またもやピットイン。

戦略が外れましたね。
レースはマルク・マルケス選手が余裕の優勝。
最高峰クラス唯一の日本人ライダー中上貴晶選手は、ピットインせずに13位でゴールしました。
この最高峰クラスの前にMoto2クラスのレースで、
来シーズンから最高峰クラスに昇格が決まった、小椋藍選手が優勝。
ランキングもトップとなりました。
優勝後に手にした日の丸は、2001年に加藤大治郎選手が、日本グランプリで優勝した時に手にした日の丸です。
加藤大治郎選手は、2003年シーズン開幕戦の日本GP(鈴鹿サーキット)でバイクのコントロールを失って、スポンジバリアに激突して、帰らぬ人となりました。
その日の丸を、250ccクラスで活躍して勝利もした富沢祥也選手のお母様が持っていて、この日サーキットに持ってきていたそうです。
それを解説者の上田昇さんが、勝利した小椋藍選手に手渡したとの実況を聞いて、泣けてきました。
実は富沢祥也選手も、2010年にこの地で開催された250ccクラスのレースで事故死して帰らぬ人となりました。
加藤大治郎選手が手にした日の丸が、富沢祥也選手に渡り、この日小椋藍選手に渡りました。
今年はMoto2チャンピオン取って、最高峰クラスでの活躍を期待してます。